2007年10月17日
私の沖縄感
30年程前私は東京で学生生活を送っていた。その頃「沖縄」は日本への復帰(1972年)前後であり、海洋博(1975年)の決定もあり、盛んにマスコミに採り上げられ、それまで沖縄に余り興味を持っていなかった(本土の)日本国民がようやく関心を持ち始めた。 その結果、「激戦地沖縄」と認識した者、「サンゴの海、観光地沖縄」と認識した者に分かれた。
当時学生達には、学生運動の残影の中にあった者がいたとはいえ、享楽を求める若者が多くなりつつあった。 その数年前まで「反米帝」と大声を上げた学生運動が盛んではあったが、かつて日本であり、当時は「米帝」の支配下にあった沖縄の問題は彼らの大きな対象とはならなかった。
沖縄が若者達の対象となったのは、多くの雑誌で観光や返還後の沖縄などが論じられる中、「これからの魅力的観光地」として若者向け週刊誌上に沖縄が採り上げられ始めてからだった。「ナンパ天国沖縄!」「沖縄旅行はセックスし放題!」 このような興味をそそる刺激的なタイトルを打ち喧伝し、享楽志向の若者達を煽り立てもした。 性への興味が強い世代、友人間で本当かどうかの話題になったこともある。針小棒大、それとも根拠の無いガセネタなのかは解らぬが、性への興味を抱きながらも、失礼な取り扱いである事に不快な思いをしたことは今でも覚えている。
何に対して失礼なのか。学生運動盛んな頃、高校生だった私は数名の級友と「沖縄戦」の記録映画を見に行った。ベトナム戦争のそれと2本立てであった。米艦艇から沖縄本島に向けての砲撃の凄まじさに驚愕し、沖縄の地上戦とベトコン掃討作戦に悲惨を思った。隣席の友人は何時の間にか見えなくなっていた。ロビーの椅子に見かけた彼女は、目にいっぱいの涙を溜め俯きないていた。耐え切れなかったと。攻める人、犠牲になる人、戦争という状況下での相互の運命にだったのか、無残な犠牲者の姿にか。 その帰り誰もが無言であった。
「沖縄は“ちゃらちゃら”した気分で観光なんかで行くところじゃないぞ。それでは沖縄の人に失礼だ」。この映画を手始めに、その後知った幾つかの沖縄戦情報から生まれたその思いは、20年後沖縄出身の妻と結婚し、沖縄の土を踏むまでの、私の「沖縄への基本的な思い」となった。その思いから、他人の沖縄旅行までも批判的に見ていたのです。「観光などで沖縄の土を踏むなんて失礼だ」と。
そんな私が沖縄で10年余を生活してみると、「多くの観光客に訪れて欲しい」と思う。 観光が如何に沖縄経済の柱になっているかを実感するのです。そして基地の存在を苦々しく思いながらも「基地」は沖縄経済の基本になっていると実感せざるを得ないのです。 このように、外から「見たり・聞いたり・感じたり」していた沖縄と、住んでみる中で「見たり・聞いたり・感じたり」する沖縄とに大きな隔たりを思うのです。
そんな中からあれこれ雑感をまとめてみたのが本書です。我が子の故郷沖縄が、「将来安心して、就業ができ、暮らしもできる沖縄」。「開かれた沖縄」「基地の無い沖縄」「安全に暮らせる沖縄」であって欲しいとの思いから、「頑張れ沖縄、沖縄頑張れ」の思いで綴った『沖縄雑感記』です。 また同時に、溢れるほどある『南の楽園!沖縄』『移住さんいらっしゃ~い』的書物に、沖縄の良いところの案内はお任せし、ここではそれらの本にはない、とりわけ壮年中年の現地就業移住が、物心にどんなにリスクを負うことなのか、本当に沖縄は南の移住楽園なのか、『観光では見えない沖縄』を案内する書があってもいいのではないかとの思いから『沖縄病患者への案内』として、10年住んでの『沖縄雑感』を記させて頂いた。 移住を刺激しつづける『沖縄良いとこ移っておいで』的書物が余りにも巷に溢れている事への疑問から生まれた案内書として、一読頂き参考として頂ければ幸いです。 (平成17年)
http://okinawanagoya.ti-da.net
当時学生達には、学生運動の残影の中にあった者がいたとはいえ、享楽を求める若者が多くなりつつあった。 その数年前まで「反米帝」と大声を上げた学生運動が盛んではあったが、かつて日本であり、当時は「米帝」の支配下にあった沖縄の問題は彼らの大きな対象とはならなかった。
沖縄が若者達の対象となったのは、多くの雑誌で観光や返還後の沖縄などが論じられる中、「これからの魅力的観光地」として若者向け週刊誌上に沖縄が採り上げられ始めてからだった。「ナンパ天国沖縄!」「沖縄旅行はセックスし放題!」 このような興味をそそる刺激的なタイトルを打ち喧伝し、享楽志向の若者達を煽り立てもした。 性への興味が強い世代、友人間で本当かどうかの話題になったこともある。針小棒大、それとも根拠の無いガセネタなのかは解らぬが、性への興味を抱きながらも、失礼な取り扱いである事に不快な思いをしたことは今でも覚えている。
何に対して失礼なのか。学生運動盛んな頃、高校生だった私は数名の級友と「沖縄戦」の記録映画を見に行った。ベトナム戦争のそれと2本立てであった。米艦艇から沖縄本島に向けての砲撃の凄まじさに驚愕し、沖縄の地上戦とベトコン掃討作戦に悲惨を思った。隣席の友人は何時の間にか見えなくなっていた。ロビーの椅子に見かけた彼女は、目にいっぱいの涙を溜め俯きないていた。耐え切れなかったと。攻める人、犠牲になる人、戦争という状況下での相互の運命にだったのか、無残な犠牲者の姿にか。 その帰り誰もが無言であった。
「沖縄は“ちゃらちゃら”した気分で観光なんかで行くところじゃないぞ。それでは沖縄の人に失礼だ」。この映画を手始めに、その後知った幾つかの沖縄戦情報から生まれたその思いは、20年後沖縄出身の妻と結婚し、沖縄の土を踏むまでの、私の「沖縄への基本的な思い」となった。その思いから、他人の沖縄旅行までも批判的に見ていたのです。「観光などで沖縄の土を踏むなんて失礼だ」と。
そんな私が沖縄で10年余を生活してみると、「多くの観光客に訪れて欲しい」と思う。 観光が如何に沖縄経済の柱になっているかを実感するのです。そして基地の存在を苦々しく思いながらも「基地」は沖縄経済の基本になっていると実感せざるを得ないのです。 このように、外から「見たり・聞いたり・感じたり」していた沖縄と、住んでみる中で「見たり・聞いたり・感じたり」する沖縄とに大きな隔たりを思うのです。
そんな中からあれこれ雑感をまとめてみたのが本書です。我が子の故郷沖縄が、「将来安心して、就業ができ、暮らしもできる沖縄」。「開かれた沖縄」「基地の無い沖縄」「安全に暮らせる沖縄」であって欲しいとの思いから、「頑張れ沖縄、沖縄頑張れ」の思いで綴った『沖縄雑感記』です。 また同時に、溢れるほどある『南の楽園!沖縄』『移住さんいらっしゃ~い』的書物に、沖縄の良いところの案内はお任せし、ここではそれらの本にはない、とりわけ壮年中年の現地就業移住が、物心にどんなにリスクを負うことなのか、本当に沖縄は南の移住楽園なのか、『観光では見えない沖縄』を案内する書があってもいいのではないかとの思いから『沖縄病患者への案内』として、10年住んでの『沖縄雑感』を記させて頂いた。 移住を刺激しつづける『沖縄良いとこ移っておいで』的書物が余りにも巷に溢れている事への疑問から生まれた案内書として、一読頂き参考として頂ければ幸いです。 (平成17年)
http://okinawanagoya.ti-da.net
Posted by okinawa-nagoya at 11:01│Comments(2)
│沖縄を思う
この記事へのコメント
はじめまして^^
来月名古屋に遊びに行きますよ♪
来月名古屋に遊びに行きますよ♪
Posted by あーこー at 2008年11月10日 20:59
初めまして(^^)
指笛さんのところから来ました。
早速、読者に登録させて頂きました。
よろしくお願いします。
私は石垣島→東京→三河に嫁ぐ
愛知県3年目の三河お新参モン?です(^^)
沖縄を離れて帰省の度に浦島状態
また、三河にも日々、発見があって・・・
okinawa-nagoyaさんの発信する情報楽しみにしていますね♪
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早速、読者に登録させて頂きました。
よろしくお願いします。
私は石垣島→東京→三河に嫁ぐ
愛知県3年目の三河お新参モン?です(^^)
沖縄を離れて帰省の度に浦島状態
また、三河にも日々、発見があって・・・
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Posted by スーさん at 2009年11月14日 17:50