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Posted by TI-DA at

2007年10月16日

沖縄病

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沖縄病

内地では「沖縄病」という病気にかかる人が後を絶たないという。『沖縄が気になって心ここに在らず状態になること』を云う病らしい。本来、病であれば治療を要すものなのだが、この病、患者の多くは治療を求めないだけではなく、「病を楽しんでいる」ようなのだ。どのように病を楽しむかというと、自ら積極的に「より重症になろう」と逆治療をしてしまう。
まず沖縄を訪れ罹患する(一目惚れ)。初期症状では関連本や特産品を愛で、時を遣り繰りし沖縄に『逢いに・触れに』やって来る。年に1・2度訪れることが適当な治療となっている。嵩じて中期症状域に持って行き『短期の移住を考える』。その先『移住を考える』の重い段階に到達すると、『移住する』ことで病を成就したい?と自分を鼓舞させる。成就を願う病などと言えば『恋の病』。

沖縄病はいわば沖縄への「恋の病」。初期症状「好きになっちゃたみたい」から「何しろ逢いたい、今すぐ逢いたい」「触れたい、今すぐ触れたい」と進み、転がり込むように短期移住。そして最後は「一緒にいたい、ずーと一緒にいたい」と完全移住を図る。
このように進化する恋系の病「沖縄病」は相手が人でない分、自分の思いだけで走ってしまう。
「本当に私と相性が合うのかしら」「永く巧くお付き合いできる相手かしら」など相手の気持ちを忖度することもない上、相手の氏素性、性格などを冷静に判断することも出来ない。
沖縄病患者は惚れたが最後、猪突猛進。まさに恋。「恋はだからいいのよ」といわれれば、それはそう。

 人が相手の「恋の病」は、相手に意思があるばかりに、「相手の意思」という即効薬、多くはきつい一言で、その後の強烈な副作用と引き換えに完治させられることもあります。
しかし、「沖縄病」は相手が「意思をもたないもの」であるばかりに、相手のことなど構わなくて良いという非常に都合の良い状況下での「恋の病」。片想いであろうが惚れた者勝ち、どこまでも想いを膨らませようと自由。
自分の想いの丈だけ思いっきり膨らませてしまう。逢いたいときに逢い、触れたい時に触れ、結婚したければ自分の意志だけで結婚すら出来てしまう。

だが、この「沖縄病」、移住で終わりかというと、この病の大変なのは「移住」の先にある。
発熱の時は良いように勝手に膨らませていた沖縄が、一緒に暮らして、見たり・聞いたり・感じたりし始めると徐々に「ちがった・・、私の沖縄と違った」。勝手にイメージした沖縄との違いを感じ始めることも多い。
このくだり結婚経験者はご理解が早いことと思います。
移住までは高熱がなせること。何時までも高熱が続くわけなく、平熱になったその時如何様な沖縄生活をしていることか。「沖縄病」には様々な結果があるのでしょう。


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Posted by okinawa-nagoya at 11:08Comments(7)移住を思う

2007年10月17日

私の沖縄感

30年程前私は東京で学生生活を送っていた。その頃「沖縄」は日本への復帰(1972年)前後であり、海洋博(1975年)の決定もあり、盛んにマスコミに採り上げられ、それまで沖縄に余り興味を持っていなかった(本土の)日本国民がようやく関心を持ち始めた。  その結果、「激戦地沖縄」と認識した者、「サンゴの海、観光地沖縄」と認識した者に分かれた。
 当時学生達には、学生運動の残影の中にあった者がいたとはいえ、享楽を求める若者が多くなりつつあった。 その数年前まで「反米帝」と大声を上げた学生運動が盛んではあったが、かつて日本であり、当時は「米帝」の支配下にあった沖縄の問題は彼らの大きな対象とはならなかった。
 沖縄が若者達の対象となったのは、多くの雑誌で観光や返還後の沖縄などが論じられる中、「これからの魅力的観光地」として若者向け週刊誌上に沖縄が採り上げられ始めてからだった。「ナンパ天国沖縄!」「沖縄旅行はセックスし放題!」 このような興味をそそる刺激的なタイトルを打ち喧伝し、享楽志向の若者達を煽り立てもした。 性への興味が強い世代、友人間で本当かどうかの話題になったこともある。針小棒大、それとも根拠の無いガセネタなのかは解らぬが、性への興味を抱きながらも、失礼な取り扱いである事に不快な思いをしたことは今でも覚えている。

 何に対して失礼なのか。学生運動盛んな頃、高校生だった私は数名の級友と「沖縄戦」の記録映画を見に行った。ベトナム戦争のそれと2本立てであった。米艦艇から沖縄本島に向けての砲撃の凄まじさに驚愕し、沖縄の地上戦とベトコン掃討作戦に悲惨を思った。隣席の友人は何時の間にか見えなくなっていた。ロビーの椅子に見かけた彼女は、目にいっぱいの涙を溜め俯きないていた。耐え切れなかったと。攻める人、犠牲になる人、戦争という状況下での相互の運命にだったのか、無残な犠牲者の姿にか。 その帰り誰もが無言であった。

 「沖縄は“ちゃらちゃら”した気分で観光なんかで行くところじゃないぞ。それでは沖縄の人に失礼だ」。この映画を手始めに、その後知った幾つかの沖縄戦情報から生まれたその思いは、20年後沖縄出身の妻と結婚し、沖縄の土を踏むまでの、私の「沖縄への基本的な思い」となった。その思いから、他人の沖縄旅行までも批判的に見ていたのです。「観光などで沖縄の土を踏むなんて失礼だ」と。

 そんな私が沖縄で10年余を生活してみると、「多くの観光客に訪れて欲しい」と思う。 観光が如何に沖縄経済の柱になっているかを実感するのです。そして基地の存在を苦々しく思いながらも「基地」は沖縄経済の基本になっていると実感せざるを得ないのです。  このように、外から「見たり・聞いたり・感じたり」していた沖縄と、住んでみる中で「見たり・聞いたり・感じたり」する沖縄とに大きな隔たりを思うのです。

 そんな中からあれこれ雑感をまとめてみたのが本書です。我が子の故郷沖縄が、「将来安心して、就業ができ、暮らしもできる沖縄」。「開かれた沖縄」「基地の無い沖縄」「安全に暮らせる沖縄」であって欲しいとの思いから、「頑張れ沖縄、沖縄頑張れ」の思いで綴った『沖縄雑感記』です。  また同時に、溢れるほどある『南の楽園!沖縄』『移住さんいらっしゃ~い』的書物に、沖縄の良いところの案内はお任せし、ここではそれらの本にはない、とりわけ壮年中年の現地就業移住が、物心にどんなにリスクを負うことなのか、本当に沖縄は南の移住楽園なのか、『観光では見えない沖縄』を案内する書があってもいいのではないかとの思いから『沖縄病患者への案内』として、10年住んでの『沖縄雑感』を記させて頂いた。  移住を刺激しつづける『沖縄良いとこ移っておいで』的書物が余りにも巷に溢れている事への疑問から生まれた案内書として、一読頂き参考として頂ければ幸いです。  (平成17年)

http://okinawanagoya.ti-da.net  


Posted by okinawa-nagoya at 11:01Comments(2)沖縄を思う